夢というものを持ち、それを堂々と語ることが恥ずかしい…
そんな雰囲気を高校や大学のはじめまでは思っていた。
夢、と聞くと何かたいそう立派で大きなものだと思い込んでいたのだ。
保育園や小学生までは恥ずかしげなく、「〜になる!」と言っていたのが、
いつの間にか言わなくなっていた。いや、言えなくなっていたのかもしれない。
私が最初に抱いた夢は「ゴジラの映画監督になること」だった。
というのも、記憶にある生まれて初めて観た映画がゴジラで、
あの迫力やゴジラの造形に一目惚れしてしまったからだ。監督でもいいし、
着ぐるみに入ってビルをぶっこわしたい!と小学4年生くらいまでは考えていた。
着ぐるみからCGになってしまった今、それは難しくなってしまったけど…。
そこから突然夢について考えることがなくなり、気づいたら中学生になっていた。
中学生の時に抱いていた夢は
「国連の難民高等弁務官事務所で働いて、
世界中の困っている人を助けること」
だった。
なぜそう思ったのかもうあまり覚えていない。
大勢の人を助けて名声を勝ち取りたいという短絡的な動機だったような気もする。
でもこの夢は意外と長続きして、大学でもはじめの方までは国際機関で働きたいなと思っていた。
が、
私は、大学でボランティアやNPOで子どもたちと接するようになり、
子どもたちと死ぬまで関わっていきたいなと考えるようになった。
単純に子どもと遊ぶのは楽しく、子どもとの対話を通して気付かされることがたくさんあった。
自分の頭がいかに固定観念まみれで固くなっているのかを日々痛感した。
それに、大人になっていくにつれて見えてきた社会の不条理や課題を解決するには
何より次の時代の世界を担う子どもへの働きかけ=教育が大事だと実感した。
だから私の今の夢は、
「子どもたちと関わることを通してより良い社会にすること」
である。
その先に、誰もが自己実現できた幸福な人生を送ることのできる社会が待っていると思っている。
ただ、これは夢と言いながら「目標」でもある。
夢だとその実現までのプロセスがとても曖昧でテキトーにあるイメージがある。
だから目標とあえて言い換えることで、その目標までの道筋を立てやすいようにしたい。
もちろん、プランと立ててもプラン通りに進むのは稀だし、面白くない。
だからその夢→目標の実現までの道中、寄り道しながら、
でも、確実に前にすすめて行ければいいなと思っている。
私は今、この夢を堂々と誇らしく誰がに言うことが出来る。
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