夢のあり方に関する疑問
夢を語る事が出来る人は素直に羨ましいと私は最近そう思うようになっている。社会的に良しとされる夢というのは大変狭義なものであると思う。小学生であればいわゆる「みんなのヒーロー」、大学生であればどのような企業に就職するのか、どんな所帯をもつのか、大人になれば基本的にはビジネスマンとしての価値をどのようにしてどこまで上げるのかということが前提になるのだろう。
ソフトバンクの孫正義氏はある動画で高校生に対して「夢はでかいほうがいい、その夢の大きさより大きいことを成し遂げることは出来ないのだから」と述べていたが、私は言われていた高校生たちが極めて不憫でならない。何故わざわざ大きな夢を持たなければならないのだろうか?自分の持ちたい夢を持つ事こそがいいことでは無いのだろうか?毎日好きな料理を作るというのはスモールスケールだからNGか?そもそも夢を持たずに毎日を幸せと感じて日々を満足に消化することはいけないことなのか?
現代社会が資本主義であり、利回りによる循環を基本としている以上、夏目漱石の「こころ」に出てくるkのような「向上心のない奴はバカだ」という考えを持った人間の多さは仕方のないことなのかもしれないが時に辟易してしまう自分がいる。
私はより多くの人が欲望の模倣ではなく、精神的自由を基盤とした上での「自分の叶えたい夢」を定義出来るような社会になればよい、長年そう思っている。
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