努力をしている大学生は多いと聞く。事実私はそういった人たちがとても眩しく見える。やはり、それは青春を謳歌していることの証なのだろう。
だが、彼等を見ていると時に悲しくなることもある。簡潔に言うと役割に縛られすぎなのだ。彼らの努力の根底には「自分は〇〇者でなければならない」というある種の強迫観念に囚われてしまっている。その人たちはどうして努力しているにも関わらず、辛いのだろうか?結果が出ないからなのだろうか?
私は理由の一つとして自己肯定感の低さであると考える。
自己肯定感が低いからこそ人一倍努力をして、結果を出して周りから認められたいー
そのような人はあまたいることだろう。
傍から見れば、勤勉と映るかもしれない。だがそれは時に、不幸への入り口であったりする。
努力に燃えすぎたあまりに手段と目的を混同し、埋め尽くされない満足感に違和感を覚え、努力が空回りしていくという苦々しさを抱えていたりするのかもしれない。
もしそんな人がいるのであれば、自己を自分自身で受け入れ、その上で努力をすればより良い結果がついてくるかもしれないのに、とつくづく思ってしまうのだ。
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